今回の対談では、創業してから商業印刷に特化してこられた「伊藤バインダリー」の伊藤社長に、ゼロから自社商品を作ることの大変さ、また「ものづくりコラボレーション」というプロジェクトへの参加から、世界へ商品を広めるまでのプロセスなどその時々の実体験と思いを語っていただきました。
商品を生み出すまでの大変さとは?
- 工藤
- 伊藤さん、今回の対談どうぞよろしくお願いします。
- 伊藤
- よろしくお願いします。
- 工藤
- 早速ですが、今回は御社の自社商品となる『ドローイングパッド』『上質メモブロック』が生まれるまでの経緯やその後の展開などについて、伺いたいと思います。まずはこの商品が生まれたきっかけから教えてもらえますか?
- 伊藤
- はい。それぞれの商品を発売したのは2009年の末になるんですが、まず商品の販売に至るまでの初動として、1938年に私の祖父が今の伊藤バインダリーの前身となる「白鳥堂」を創業して以降、ずっと時代の流れに合わせ、設備投資を進めながら、商業印刷に特化した事業を行ってきたのですが、2007年ぐらいから日に日に機械の止まる時間が増え、徐々に仕事が減っているなぁ…ということを実感し、その中で新たなつながりを作りたい、また「直接、ユーザーさんと握手のできる仕事をしたい」と思ったのが、きっかけです。
- 工藤
- なるほど、初めはどんなことから始めたんですか?
- 伊藤
- 最初は数人の社員に月に一度、第三土曜日の始業前に集まってもらって、「何か自社商品を作ろう」と、商品開発の会議を開くところから始めました。
- 工藤
- メーカーになろうと?
売り上げが落ちてきたら、普通、今ある何かで営業をして、いままでの仕事を増やさなきゃいけないというアプローチを取るものだと思うんですが、なぜメーカーになろう、商品開発をしよう、という発想になったんですか?
- 伊藤
- そうですねぇ、実際のところ、あまりメーカーになろうという意識は、当時はなかったんです。売り上げを何割作って、という計画さえも。当社で扱っている商材のほとんどは広告販促物であって、お客様も90%が印刷会社さんで、お預かりする仕様書を基に商品を納める、というところで、プラスアルファの仕事をして納品するということを続けていたのですが、正直その商品がその後どこでどういう風に流通していくのか、分からないままに過ごしてきて、ふと、当社がなくても、もしかしたら世の中は困らないんじゃないかと思った時に、すごく寂しさを覚えたんですよね。それであれば、当社の技術を直接エンドユーザーに提供することのできる何かが作れないか…という思いが芽生えてきたんです。
- 工藤
- なるほど。でも自社で商品開発をしようとする時、何か魅力的なものが生まれるものなのかな、と考えてしまうものではないですか。
生み出す力が弱くても、1を2にする、2を3にするという、バトンを受け取って、次にバトンを渡すということは割と得意だと思いますが、そもそもの走り初めとか、0を1にするということは苦手な産業だと思うんですよね。そういった中で商品開発をすることの大変さというものはありましたか?
- 伊藤
- ものすごくありましたね。先ほど申し上げた商品開発会議をやろうとなった時、それまでそういった会議をしたことがなかった為に「何か提案してよ」と社員たちに投げかけても何も出てこない状態だったんです。正直そこからのスタートでした。
でも、とにかく何か作らないと、という思いだけがあった中、次の1ヶ月後の会議で、社員たちにまた「何でもいいよ」と振ってみたところ「工場の中の廃材を使って何かを作りましょう」という案が出てきて、その時は、すごく感動をして、「これだ!」と思えるものがそこにあったんですよね。とても短い時間でも何かを「作る」ということへの集中力、またその技術はとても長けているな、と彼らに対して思い、こういったものはデザイナーさんが作るものではなく、技術を持った現場から発信することが重要なんだなと改めて感じたんです。
- 工藤
- ちなみにそのことをきっかけに何か作られたんですか?
- 伊藤
- はい、その時は下駄を作ってみました。刷り本の上に保護紙で、よく板が乗っている…それを利用して、紙で下駄を作ってみようと。
よくわからないままにその面白さがいいねということで、本物の下駄をベースにミニチュアの下駄を100足ぐらい作っちゃったんです。
私自身「面白いね、面白いね」と、それを作ったあと、どこに売るのか、誰に喜んでもらうのか、そんな先のことを全く考えず、コンセプトがない状態のままにしてしまい・・・。
この点については判断が間違っていたと反省しました。その後、2009年の春に墨田区の事業で、「典型プロジェクト」というデザインチームに出会い、彼らに当社の工場を見学いただいて、ディスカッションをしました。その時に今まで作った下駄を見ていただいたのですが、これまでにしてきたことをいろいろ教えてくださいと言われ、肩の力を抜いて、話し合いをし、そして、工場の目線でもの作りをしようと、そのデザインチームと組む、プロジェクトへの参加を決めました。
- 工藤
- そのプロジェクトは、どういった内容のものですか?
- 伊藤
- 墨田区の「ものづくりコラボレーション」という事業で、日本を代表するいろいろなクリエイターさんと町工場がお見合いやプレゼンテーションをして、その結果、合致したところが、手を組んでオリジナルの商品開発を行うというもので、デザイン費は行政持ちで、試作までの費用は事業者の手弁当という仕組みです。
- 工藤
- その話があったとき、「これだ」と思えるものがあって参加したのか、それともたまたま参加したところにそういった出会いがあったのか、と言うと?
- 伊藤
- 藁にもすがる思いでしたね。
- 工藤
- そういう感じなんですね。
- 伊藤
- もう、にっちもさっちもいかなかったんですね。下駄100足の箱の在庫を見ると…
- 工藤
- あぁ!100足作っちゃったんでしたね(笑)
- 伊藤
- そうなんです、100足作っちゃったんですよ。「いいね、いいね」と言って(笑)
- 工藤
- ちなみにそれはまだあるんですか?
- 伊藤
- まだありますね。箱いっぱいで来ちゃいまして。
- 工藤
- 値段はつけていたんですよね?
- 伊藤
- 実は何もつけていないんです。ただ作っちゃっただけなんですよ。
- 工藤
- じゃ、売ってないんですね。
- 伊藤
- はい、売ってないんです。というよりも売ろうとすることすらできなかったんです。
「これいくらぐらいで売れるかな?」「浅草に持っていけば売れるかな?」という話はよくしていたんですが、そこに自信が持てないでいたんですよね。商品として値段をつけるということに責任を全く持てず、営業さえもしていなかったんです。